アイノ」(=アイヌ)と同一して呼ばれるようになる。 その他にも一般的には「アイヌ人」「アイヌの人々」「アイヌ民族」など様々な呼び名があり、歴史的文書にも色々な言い方がされている。 アイヌの民族形成の過程を「縄文文化と続縄文文化のプレアイヌ」→「擦文文化のプロトアイヌ」→「近世アイヌのアイヌ 86キロバイト (12,228 語) - 2021年3月13日 (土) 00:45 |
19世紀の100年に渡る人口調査(もちろん不正確なものであろうが)によれば、北海道のアイヌの人口は約(1)から2万である。
今の道民の数が500万以上だから、とても少ない数である。
北海道庁の大正7年の調査によればアイヌ語の(2)は約(3)ほどであるから、当時のアイヌ社会においては、まだアイヌ語が盛んに行われていたと言える。
狩猟、アイヌ語で(4)は(5)を人間の世界に迎えるという宗教的な意味を持つ。 真駒内というのはアイヌ語の地名であるが(6)にある川という意味であった。
この語の意味、すなわち(7)の(8)が日本語になかったため(9)と混同され「山奥にある川」などの意味だとされてきた。どちらにも、山があるからである。
真駒内は日本海沿岸地方と太平洋沿岸地方とを結ぶルートであった(10)の(11)にある川という意味であった。
オホーツクに近い町、遠軽の名はアイヌ語のinkarである。inkarはV1の「~物見る」という意味である。だから、「物見山」と訳せよう。
名高い敢望岩の原名である。「遠軽」は(12)、「敢望岩」は(13)である。?inkarはまた札幌の(14)の名でもあった。
アイヌ語を知らない慌て者が誤って北隣の(15)の名であった(16)を(17)の名にしてしまった。
遠軽も敢望岩も札幌もインカルシペが本来の山名とされているが、これもまた誤りであろう。
このアイヌ語は「インカラにくっついてる川」と解されるから、山の名がインカラで、?inkar-us-peは?inkar-us-petであったかも知れないが、
いずれにせよ「インカラにくっついてる川」と解されるから、インカルシペはその傍らを流れる湧別川、(18)のことであったと考えられる。
上の2つの川の名にあらわれる?omaと?usは存在をあらわす(19)であって、存在する場所と(20)による。
(出典 gigaplus.makeshop.jp)
(出典 www.yomiuri.co.jp)
(出典 www3.city.noboribetsu.lg.jp)
(出典 hokkaido-syuryo.com)
?eはV2で「~が~を食べる」、?ipeはV1で「~もの食う」ないし「~が食事をとる」という動詞である。
だから、「私は肉kamを食べる」は(21)となり「私は食事をとる」は(22)となる。
また、nukarはV2で「~が~を見る」、?inkarはV1は「~がもの見る」ないし「~が視覚を働かせる」という動詞である。
だから、(物語では)「私は山nupuriを見る」は(23)となり「私はもの見る」は(24)となる。
物語を語るのではなく、会話を行う時は、「私は山nupuriを見る」は(25)となり、「私はもの見る」は(26)となる。
この話は、十勝方面で語られているが、胆振方面でhekaci「子供」というのを十勝ではekaciと言う。アクセントのない音節の頭のhは十勝方言では になる。
したがって、「~が走る」を意味するV1は胆振でhoyupu/hoyuppa(sg./pl)というところを、十勝では(27)/(28)(sg/pl.)という。
ところが、物語では胆振の「私は走る」がhoyuppa-?anに対して十勝では(29)となり、会話では胆振のku-hoyupuと同様(30)となる。
ku-は(31)を前に1つ移動させるからである。 この話を最初に語った人は熊獲りの名人である。
したがって、cawetok、teketok、remetokの3ての(32)を備えて神の(33)のある(34)である。そのような男性の妻は(35)とか?iresu sapoと呼ばれる。
この語り手はこの時、網袋の、アイヌ語で(36)と網袋を背負うための紐、アイヌ語で(37)を1つずつしか持っていなかった。
この紐で網袋を(38)と背中で支える。そこで、もう一匹の小熊を捕らえて(39)をおりるためにフンドシ、アイヌ語で(40)を解く必要があった。
こんな簡単なのやらせるの忍びないんだが、穴埋めしてみてくれ
◆ ウポポ = У(ウ) пoпo(ポポ)
http://www.geocities.jp/orionseijin_cacacakah/ainu-izika-garubohi/upopo.html
アイヌ民族舞踊 ウポポ・マクンバ呪術の和人側資料 『重点ポイント』
h ttp://www.geocities.jp/orionseijin_cacacakah/ainu-izika-garubohi/upopo.html#アイヌ語を、和人や外国人が理解するコツ
h ttp://www.geocities.jp/orionseijin_cacacakah/ainu-izika-garubohi/upopo.html#アフリカからロシア向けの中世の奴隷
h ttp://www.geocities.jp/orionseijin_cacacakah/ainu-izika-garubohi/upopo.html#白丁奴隷(アイヌ同様に人喰い人種。両班の息子を食べる本能)
■ PigNoseLogy 『豚鼻学』 / 獣医学の人類応用編
http://www.geocities.jp/orionseijin_cacacakah/01_pheromonelogy/PigNoseLogy/ButabanaGaku.html
◆ ゴリラ顔 VS ピリカ
↑ ↑
アイヌ顔 相生顔
h ttp://www.geocities.jp/orionseijin_cacacakah/gorira_type-b/yah_kamui/Bonnta/goriragao_tokebi_pecchong.html#ゴリラ顔孫悟空VSピリカ
http://www.geocities.jp/orionseijin_cacacakah/gorira_type-b/SoutaiseiUari/soutaiteki_UTARI._index.html
バイオ・ハザード 標識
h ttp://www.google.co.jp/search 検索・省略
↓ ↓ ↓
【繁殖学・遺伝学】 鎖国の弱い地方がアイヌ顔でパッパラパー
http://www.geocities.jp/orionseijin_cacacakah/ainu_rosuke/munohge_B_guruppa_beet/papa/a_few-Possia.html
① パッパラパーは、鎖国の弱い地方のアイヌ顔と学力な、超強力な「優性遺伝DNA」です。
② パッパラパーが弱くなっていないで、鎖国の弱かった地方はゴリラ顔とB型血液型とパッパラパーが、優性遺伝で増え続けてきた証拠でもある。
③ アイヌ人100%を意味するD2系遺伝子顔は、パッパラパー遺伝子マーカー顔である。
アイヌ人は元はD2ではなかった!
アイヌ人の元来のY染色体ハプロタイプはおそらく北アジアに多いC3。アイヌ人の中にも13%存在する。
以下ソース
10 :名無しさん@12周年:2012/01/28(土) 16:42:47.09 ID:udmCTrHt0
644 :出土地不明:2011/09/19(月) 15:09:53.83 ID:q9o0HeeF
>>640
アイヌなど本州からの病原菌の持ち込みで絶滅で2万人しかいない。
北海道の多数派である越後人や越中人と混血した者しか生き残っておらんだろう。
新潟県のD2とアイヌのD2は同じマーカーM55とP37.1陽性なのだよ。
アイヌの父系は、ほぼ越後人・越中人なのだ。
まぁ、
アイヌは
アイヌ部族風習自体は確かに
オホーツク~東日本全般に確かにあったが、
今日でてくる。日本史の中にあるアイヌ風習と
原生アイヌって根本的にまったく違うんだよ。
そしてオホーツク東北の文化圏と今日のものは違うし、
そもそも現アイヌ文化は構成的に相当かわったもんで、原型ない。
さらに民族史学史観では
東日本、の大半は元アイヌになって、歴史人種系統はそうなるんだけど、
その状態で、あくまで
凡アイヌから生まれた、Bアイヌが別形態文化になった境。
Aアイヌがその私有を主張するのは変。
その理屈はBアイヌがアイヌ、オホーツクの主張と同じ。
担ってしまう。だから別。
まぁ確かに日本刀の前の刀は東北が作ったものだが、それを
アイヌ全文化にするのは文化破壊と文化盗掘だろう。
>>9
その怪しすぎるニホンゴと、内容のまともさのギャップがすげえです。
>まぁ確かに日本刀の前の刀は東北が作ったものだが
ここが興味ありますね。
あなたの立場では、日本刀の系譜はどこにあると思っていますか?
>>11
刀(カタナ)はアイヌから来たっていうアイヌ人がいるね
対馬も富士山も筑波山も
日本人が、アイヌの剣も、お辞儀も、腹切りも自分の文化にした
http://japanese.ruvr.ru/2012/02/06/65448380.html
【北方領土】ロシアの声「刀も腹切りも元はアイヌ文化」「我々は650年間日本の侵略と戦ってきた」「クリル諸島はアイヌのもの」[2/7]★2
http://awabi./test/read.cgi/news4plus/1328654283/
司馬遼太郎(歴史小説家ですまん)はアイヌ文化に同情的だったよね。
滅び行く少数民族
>>19
ロシアには日本とはちがってアイヌ人がいるよ
ロマンですね~
アイヌ人は「キリスト」で倭人は「堕落」と
http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0203/32/207_1.html
http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0202/6/151.html
江戸時代、北海度を訪れた英国人女性旅行家が、
その書物に残している。ウソとは思えない。
キリストはユダヤ人だとユダヤ人が主張してるよ
アイヌとユダヤは別人でしょ
アイヌは湊川人、縄文の古モンゴロイド
ユダヤ人は旧約聖書によると中東・アフリカのイスラエル出身者だよ
港川人は沖縄出土でアイヌとは無関係です
あのね、C3は13世紀に北海道東岸にやってきたオホーツク文化人が持ち込ん
だもの。それから今のアイヌの何人かはロシアのRも検出されてるから。それで
も縄文人のD2は和人よりも多く検出されてる。88%ぐらいかな。
>>28
書き間違えてるぞ。
オホーツク文化人が南下してくるのは古墳時代の話だ。
13世紀はトビニタイ文化人が擦文人に吸収された時期だろ。
>>29
オホーツク文化人の定義があいまいなため解釈の違いがあるようだ。
オレはトビニタイ文化も含めた広義としてのオホーツク文化人について
言及しただけ。ウィキにはこうある。
オホーツク文化(オホーツクぶんか)は、3世紀から13世紀までオホーツク海沿岸を中心とする北海道北海岸、樺太、南千島の沿海部に栄えた古代文化である。
トビニタイ文化は9世紀から13世紀まで北海道東部にあり、
両者の継続性を認めるか否かで話が分かれているらしい。
>>30
解釈の違いの問題ではない。
オホーツク文化人は3世紀頃に南下してきて、
道北から道東にかけて暮らしてたの。
で、道北は9世紀頃に擦文人(アイヌ)に奪還されて、
道東のオホーツク文化人は孤立してしまい、擦文文化の影響を受けて
オホーツク文化からトビニタイ文化に変化したって話だ。
>>28の書き方だと、オホーツク文化人が13世紀頃に
道東へ移ってきたような印象を受けると指摘しているんだ。
>>31
以下ウィキ参照。
オホーツク文化(オホーツクぶんか)は、3世紀から13世紀までオホーツク海
沿岸を中心とする北海道北海岸、樺太、南千島の沿海部に栄えた古代文化
である。
トビニタイ文化をオホーツク文化に含めるかどうかについては、現在のところ
意見が分かれている。トビニタイ文化は9世紀から13世紀まで北海道東部
にあり、擦文文化の影響を受け、海岸から離れた内陸部にも展開した。両者の
継続性を認めてオホーツク文化の一部にする考えと、生活の違いを重視して
オホーツク文化に含めない考えとがある。
オレは広義のオホーツク文化(3世紀から13世紀)、あんたは狭義のオホーツク
文化(3世紀から8世紀)つまりトビニタイ文化はその後の9世紀から13世紀だ
と主張していて、広義か狭義で解釈が食い違ってるわけ。
それにオホーツク文化人つまりウィルタやニブフ等は何も3世紀頃だけ南下
したとは思わんが。オレはただ分かりやすくオホーツクもトビニタイも
ひっくるめて広義オホーツクとして13世紀と言っただけなんだが。
>>32
だから、解釈の違いじゃないって。
君は>>28で> 「13世紀に北海道東岸にやってきたオホーツク文化人」と書いてるじゃないか。
広義でも、狭義でも、オホーツク文化は13世紀に北海道から消滅したんであって、
13世紀にオホーツク文化人が北海道東岸へやってきたわけではないよと言ってるわけ。
だから、>>32で書いたじゃん。
オホーツク文化(広義)は3世紀から13世紀までオホーツク海沿岸で栄えた。
つまりウィルタやニヴフもその間、往来していてもおかしくないでしょ?
君は3世紀頃に南下と断定しているが、3世紀から13世紀もの永い間、3世紀
だけっておかしくない?
オレと君の争点は9世紀頃の擦文人の奪還の所なの。もし君の言う通り、
奪還したというなら、オホーツク文化(広義)が3世紀から13世紀にかけて
栄えたというウィキの文面と矛盾することになる。
君はオホーツク文化(狭義)を支持していてそれが、3世紀から8世紀まで
続いて擦文人が9世紀に奪還した。東岸に取り残されたオホーツク人が
擦文文化の影響を受けてトビニタイ文化が出来たと言いたいんだろ?
だがオレはそんな杓子定規で歴史は語れないと思う訳。オホーツク文化
(広義)は3世紀から13世紀の間、栄えた。つまりその間、ウィルタや
二ヴフがやってきていても不思議はないと思うわけ。
>>34
君はオホーツク文化とトビニタイ文化の定義にこだわっているが、
俺が言いたいことは簡単さ。
君はなんで「13世紀に北海道東岸にやってきたオホーツク文化人」と13世紀に断定して書いたんだい?
>>35
別に断定したわけではない。ただオホーツク文化とトビニタイ文化の継続性
が曖昧なことから、両方が存在したと思われる13世紀が一番適切だと思った
だけのこと。
そもそもアイヌに文字が存在しないことから、周辺国の文献に頼らざるを
えない。もちろん曖昧な部分や誤差も生じるだろう。ただ俺的には13世紀
は特別な時代だったと思う。
まず元寇。当時、アイヌは中国の文献では骨鬼と呼ばれており、ギリヤーク
(今の二ヴフ)と対立していた。ギリヤークは元に頼み、アイヌを掃討しよ
うとしていた。13世紀はまさに激動の時代だったと言っていい。
アイヌの歴史は縄文時代→続縄文時代→擦文時代→アイヌ→現代と言われる。
君の言う3世紀はちょうど内地では弥生時代に当たる。北海道ではその頃は
まだ縄文時代であり、オホーツク文化人の流入はあったにせよ、それほど
勢力が強かったとは思えない。
やはり13世紀が分岐点だったと思う。色んな文献にも13世紀という数字は
目にするし、縄文人とオホーツク人の文化を受け継ぐアイヌが誕生する直前
という意味でも意義深い。
ちなみにアイヌのイオマンテ(熊送り)は元々はオホーツク文化人の風習
らしい。またアイヌには縄文人のD2の他にオホーツク文化人のC3も検出さ
れることから、アイヌが縄文人とオホーツク文化人を土台にした存在だと
言えると思う。
>>36
アイヌ文化が確立した時期は13世紀だろうね。
擦文人は、道東へ取り残されたオホーツク文化人に女を送り込んで、
文化的に擦文化(トビニタイ文化)させ、時間をかけて吸収するという方法をとったそうだ。
これによって、擦文人にC3とオホーツク文化が流入したんだろう。
で、その同化政策が終了したのが13世紀。
さらに13世紀といえば、渡島半島の青苗文化を足がかりに、
和人が北海道へ定住を始めた時期だ*。
志賀島出土の金印にある倭奴国は倭の奴国という意味では
無くて 「倭奴=ワイヌ」つまりアイヌを表す言葉である!
漢倭では無く漢委なので倭国(倭人・和人)とは区別され
るべき!スサノオは
スサ(熊)のオ(男)という意味!
アイヌ国=倭奴国
スサノオ=熊雄(熊襲国・熊野・狗奴国)
漢委奴国王印はアイヌ共和国に返却すべき!
九州はアイヌ共和国の飛び地として隼人・熊襲・和人自治区
としてアイヌ連合共和国に編入すべき!
>>38
だいぶ調べたが、アイヌ語でスサは柳葉魚(シシャモ)だし
スサ=熊ってするのはシュメール語を古代朝鮮語にしてから日本の音韻にしたら~みたいなムリクリなのしか見つからない。
それでも熊が日本の古語でスサであれば方言に似た音がないか調べたが見当たらない。
そもそも日本語の熊=クマは鳴き声に由来する説もあるぐらいなんでかなり原型に近い音の言葉
アイヌ語スレで「スサ=熊」とする根拠をくれませんか?
>>38
>「倭奴=ワイヌ」
「倭奴=イト」だよなw
…は、さておき~かなり待ったつもりだがスサ=クマの根拠は無いんだと判断させて貰います〆
スサは「*」のことだよ。だからスサノオは*の王ってこと。
でスサノオはイラクのスーサから朝鮮経由できたのはスサノオの縁起譚
クマはアイヌ語でカムイ=神の語源であり「熊送り」とかの信仰を今でもみることもできる・・
確かに九州や紀伊、能登とか原縄文化が残っていたところは「カムークマー神」と同語起源らしい。
(中上健二の娘だっけ紀伊の話ででてたな・・噛むにも繋がるらしい。)
ただ北海道で*信仰があったかは知らない(今自生地だが)がその他の地原日本では(出雲、伊勢・・)
*信仰があったのは隠されている(オカルト=信仰)が間違いない。
>>40
丁寧なレスありがとうございます。
しかしながら、手元にある『「日本語とアイヌ語」著者:片山龍峰』を読み返しながら書きますとカムイとは
①アイヌ語の「kamu=かぶさる。覆う」であり、日本語の被るとか冠(kamu-ru)に対応する語
②アイヌ語の「i=もの・それ」であり、日本語の「斎」(i)神聖であること、タブーであること。に対応する語
この2つの合成語であると解ります。
先のレスにありました熊送りはアイヌ語でイオマンテ・イヨマンテですが、最初のイが当に「i=それ」であり神聖な神の名を出すことを避けて「それ(i)」としているそうです。
よって、クマがカムイの語源説は頭の片隅に追いやらしていただきます。
ついでなんで一度、「クマはクマと鳴く」で検索されると、ツキノワグマの警戒音を御自身の耳で確認できるかと思います。
>>41ですが、熊はキムンカムイだし、神の名を憚ってと言う前提で
子熊の檻を言う時にカムイだけにしたりi(それ)で表す例はあるけどアイヌ語で熊がスサだとおっしゃる根拠はまだですか?
>>41
ほー、勉強になった。
仮説の一つとして覚えておく。
イヨマンテノ、イが「それ」
で、神聖なものをさけ・・・
はややヤハウエぽい解釈でホントカイナと思うけど。
>>49
>ホントカイナと思うけど。
なら北海道アイヌ協会とかにでも問い合わせてみたらスッキリすると思うよ
>>49
イオマンテがイ・オマンテ それ[物]・行かせる[送らせる]を原義とするのは
たいていの概説書に書いてある話だね。
ただ、イオマンテのイが日本語の「斎」(i)神聖であること、タブーであること。に対応する語
という主張は片山龍峰みたいなアイヌ語が日本語の原型だと主張してる人くらいしか支持していない。
どちらかと言うと偽言語比較論、トンデモ説の類。
実際にはアイヌ語と日本語の間には語の借用があるけど基本的に全く別の言語。
例えばアイヌ語は抱合語だけど日本語は膠着語。
このあたりはアイヌ語学者の中川裕あたりがちょくちょく書いてるので贅言はせんけど。
>>58
琉球語と日本語の古語の類似性や、琉球語とアイヌ語の共通点が言われる場合があるけど
それを踏まえて日本語の古語とアイヌ語の共通点があって何の不思議が有るんだろ?
としか思わないがな~、どのみち三者は身近な交易圏内だったろうし
>>59
>琉球語とアイヌ語の共通点が言われる場合がある
学術的に認められていない。
>>58
>実際にはアイヌ語と日本語の間には語の借用があるけど基本的に全く別の言語。
それは結局のところ、上の数レスの元である「神=カムイ」と同源の語と言うのも否定するし、そのさらに上の嘘臭い「カムイはアイヌ語で熊の意味であり神の意味であるから日本語の『神』の語源は~」ってのも含めて丸ごと否定する話だから。
一連のやり取りが丸で終了だねw
都合の良いとこだけ「ここは違う」とか言うのならチラシの裏に書いてろレベルにさw
>>40
スレ違いだけどついでなんでw
>九州や紀伊、能登とか原縄文化が残っていたところは「カムークマー神」と同語起源らしい
九州や能登は知りませんが、紀州だと日本書紀に日熊神って出てきますよね?
以前に漢字の成り立ちを調べていたら、熊の源字はヨウという音で太陽を意味する字だったそうです。
それを踏まえて、熊襲が熊祖なら「太陽神が祖神」の一族ですし、文字通り熊襲なら「太陽を襲う」一族で神話のスサノオに相応しくなりますね
もっとも自分はスサノオ神話は月読神話の換骨奪胎だと考えているので、後者の場合は「月神を祖神とする一族」だと考えますがw
最近ニセモノのイヨマンテが観光民俗として捏造されてるらしいね
最近?
少なくとも30年はたってるな。
某地方のイヨマンテに感動しそのむね、ワカシュウチョウと呼ばれていた人に話すと・・・
無形文化に指定されたと喜んでいたが、
ただしシャモ向けに造ったもので、本物はシャモには見せないと言っていた。
色んな意味で、そ、そうか・・・
と思った。
いまのアイヌ協会のいうとこなど余り参考にならない、
汎神的な精霊思想で
神聖なモノを隠すしてイヨマンテ
どうも後世のこじつけぽい
中近東一神ぼいなあ
ま、説の一つとして聞いておこうっと
>>51
ageても無いのにレス早っっっ!w
>いまのアイヌ協会のいうとこなど余り参考にならない
いや別にアイヌ協会はとりあえず書いただけだから、アイヌ協会でなくとも社会一般から見て信頼に足るとこなら何処でも良いよ。
>どうも後世のこじつけぽい
強要はしないが、否定するにせよ肯定するにせよ「ぽい」で終わらすなよな
同様の使い方がされているイの有無くらい調べてみるとかして、自身の「ぽい」という判断の是非くらい手繰ってみてくれ
論点見えてないな
イの意味ではなく
イヨマンテの意味解釈が
いかにも一神的な解釈で
精霊的思想とぶつかるというてんに
疑問をもっている
そこに君は触れてないし
俺としては
さしあたり
うさん臭いと思う分けだ。
だから
一つの説として記憶しておくと言ってるだろ
それを越えて、信じろというなら
阿保か!
と言うしかないなあ
>>53
>イヨマンテの意味解釈がいかにも一神的な解釈で精霊的思想とぶつかる
ググるだけでも分かるけど「イオマンテは直訳すると「それ(つまり神)を行かせる」で「神の国に送り届ける」という意味な
で、「いかにも一神的な解釈で精霊的思想とぶつかる」が何を言ってるか理解できないんだが?
精霊的思想ってのはシャーマニズムのことだよな?
それで多神教的シャーマニズムなはずのアイヌの信仰に、ヤーウエみたいにイを使うのに違和感を感じるって意見なら
あなたは、多神教的シャーマニズムの中でイオマンテが何を目的とした祭祀*ら知らない、知ろうともしてないレベルで他人を阿呆と呼ばわる御仁なんですね
民俗学に興味がおありなら御存知でしょうが、八百万の神を祀る日本の山人(猟師・樵etc.)の慣わしにも>>54さんの言うように神や熊などの名を口にすることを避けて「それ」等で表しますが、同じことなんです
神聖な、というより「畏怖すべきモノ」の名を直接呼ばないと言うのはすぐれて呪術的、精霊崇拝的感覚だろう。
コトダマの魔力を信じる呪術的感性では、「名を呼ぶ=そのモノを呼び寄せる」、ってことだからな。
来てほしくない恐ろしい(あるいは、嫌な)存在の名指しを避ける感覚は、よくよく考えたら現代人にもあるだろ。古い呪術的感性の名残りなんだよ。
十戒の規定も本来はそうした感覚の名残りとしてあったもので、別に一神教的感覚でもなんでもない。
最初に真面目なことを書いて
どさくさ紛れに変な内容書いて怪しげなことまで事実であるように語るのは
似非学問の常だからな。
>>41でイオマンテの話を出してチラシの裏に書いてろレベルの片山龍峰説を
布教しようとしたのに失敗してさぞお腹立ちなんだろw
面白いことを言う人達だなw
じゃ日本語の古語とアイヌ語には借用レベル以外に関連はないとして
どちらの文化にしても借用するまでもなく持ってる「神」に対して聞くが、日本語の「神」ってどういう成り立ちの言葉なの?
例えば「i=それ」で、髪だって「上から・覆う・それ」でカミだよね。iの用法が「それ(神聖ではない場合も使う)」になってアイヌ語よりになるけど、カムイの説明と同じに説明出来る。
>>66は完全に屁理屈だろ。
日本の名詞、固有名詞をアイヌ語から説明するとかいう場合、
全てを否定するわけではないけど相当な注意が必要。
例えば、このスレでも何度か出てきてる富士山アイヌ語起源説についても
昭和7年の時点で金田一京助が北奥地名考という書物の中で明確に否定してる。
以下、参考に引用。
若し語原が、説者のいう如くアイヌ語のhuchiであったならば、国語にクヂ(またはクジ)となっていた筈で、
国語にハ行音でフジとなる為には、その語頭音は必ずやpかfでなけれだならない。
それは上代の国語の音には[h]音がなく、外国の[h]音はこれが為にみな[k]音に取り込まれる例であったからである。
現今のフジであるからとて、huchiをその語原に見立てたのは、国語の音韻史を無視した失考だった。
>日本語の「神」ってどういう成り立ちの言葉なの?
「神」という言葉は自由形態素。
>>66
上代特殊仮名遣いって知ってる?
音声学の分野だと奈良時代以前の音では、
神はミの音が乙類、髪はミの音が甲類に分類されて別物。
両者の成り立ちを同じ形態素で説明した時点で、
片山龍峰説支持者は現代仮名遣いしか理解してないことがわかる。
まあゴロ合わせ、言葉遊びのレベルだね。
さて、かなり待ったつもりだが
神という語がアイヌ語由来だとする根拠は
>>66のこじつけ程度の説明しか無いんだと判断させて貰います〆
和人がアイヌ模様をファッションにしたら怒られるべか?
絶対、イカすと思うんだが…
>>70
かっこよすぎるよな、、
>>70 近々、アイヌ文様が流行るような気がするけど、
スカートには抜群に良いだろし、シャツの柄でも良いし、柄を細かくしても良いね、
なんとなく大きな柄が流行そうな気がするし、
ボクサーのガウン トランクス 体操 サッカー 卓球 なんでも使えてインパクトを与えられるし、
アイヌ文様は原野に一生暮らす原住民とは思えない高度文明的な文様、
色彩的に自分は好みだし、
外国の人達にしてみれば日本 チョンマゲ、忍者、芸者、
アイヌ知らない人が多いと思う、
アニメも良いけど、服飾で日本古来の良いものをもっと海外に発信すればいい、
アイヌの写真を見れば威厳ある風貌、おおらかさが現れてるし、
冬は雪に閉ざされたような生活を強いられると思われるんだけど、
それで保存食として鮭なんかの恩恵を受けてたんでしょうけど、
内陸の部族の人は塩をどうやって調達してたんですかね?
4/2から東京 駒場の日本民藝館で特別展「アイヌ工芸-祈りの文様」開催
「シヤウレンテ」「ヲルハウシ」ってカッコイイ響きだけど
日本語でどう言う意味?
あとサムスピのナコルルって本当はナコェルエルって
発音するって本当?
>>79
それはそれで「アイヌ語の熊が日本語の熊の語源」とか言ってたバカの否定でもあるから
コトの発端になった「アイヌ語の熊が日本語の熊の語源」が否定されてるなら、「それ違う」言ってた方は、否定されても結果においては目的を果たしてるって時点で面白いわなw
>>83
その論争の中で日本語アイヌ語同系論者が怪しげな語源論を展開した結果、
労せずに同系論を瞬殺できた日本語アイヌ語別系論者は笑いが止まらない訳だ。
別系論者にしてみれば、神の語源が熊であろうとカム+イのどちらであろうと
同系論という点では一つ穴の狢。
それが勝手に潰し合ってくれた挙句、
勝った方ですら日本語の音韻の変遷の知識を無視した、
こじつけ程度の主張しか出来ていないことを示せたわけで
完全に別系論者が漁夫の利を得て一人勝ち。
なるほど面白いわな。
じゃ、日本語と同系なのはやはり韓国語ということだな。
同系じゃないという人が強烈に反発していたが、google chrome の翻訳機能が充実してきたので、
各国の wikipediaを翻訳して読んでみると、韓国語の wikipediaは無茶苦茶素直に読めるぞw
熊送りはアイヌ、ツングース、サーミでもやってる。
最近の三、四十年限定でアイヌにもトーテムポールはあるよね。
熊祖はエヴェンキとかツングースっぽい。
梅ちゃんの「イヨマンテの夜」最高だったぜ!
アイヌ文化は韓国起源
1000年前から京鎌倉江戸とみてきたはずなのに
武家政権やモンゴル帝国を見てきたはずなのに
それに模した世界観をしらないんだけど
一般人が知らないだけ
織豊時代や江戸期や明治期の高度成長をめのあたりにしたんじゃないのかな
たとえば北北海道や樺太や千島に5万都市つくってたら
松前が攻め込んだのかね
他者からみれば1000年和人との交易がベストで生きてきたようにしかみれないが
そんなに過酷なら北方に逃げだしたんじゃないの
元や明とむすびつくだろうし
本気の危機感が(和人のとってのアヘン戦争や黒船みたいな)感じない
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